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2006-12-15

次の梅田本は「ウェブ文明論」だと……良くないか

またヨタヨタの話です。相変わらず学がないのであいまいに冗長に。

極東ブログ: [書評]ウェブ人間論(梅田望夫、平野啓一郎)という記事、とても面白くて読みたくなる書評なのですが、ここでは梅田望夫さんが対峙して圧倒されているという新しい人々の意識について触れられた引用部分だけを引用します。

平野 ハッカー・エシックというのは、どういうものでしょうか。ハッカー倫理ですか?

梅田 プログラマーという新しい職業に携わる人たちが共有する倫理観とでもいうべきものですね。プログラマーとしての創造性に誇りを持ち、好きなことへの没頭を是とし、報酬より称賛を大切にし、情報の共有をものすごく重要なことと考える。そしてやや反権威的、というような考え方の組み合わせというか、ある種の気概のようなものです。

「エシック」とはethic、(特定の文化・集団の)価値体系, 倫理道徳*とのこと。

ここを読んだときは「新しい技術者文化の発生」のような問題かと思ったわけですが、たまたま直後に量産型ブログ - Web2.0にまつわる話は古代ギリシャを思い起こすを拝見し、あーもしかすると「新しい文明」ということなのかもしれないと、考えたお話です。


最近立ち読みしたオカルト雑誌で「古代ギリシャ文明はなんであんなに唐突に技術レベルが高いんだ」という特集があり、まあ学術的に謎なのかどうかは知らないですし、脈々と技術を受け継いだ期間の歴史記録が現存していないというだけのことかもしれませんが、不思議には思っておりまして。

私がギリシャ文明ですごいと思うのは、現代につながる学問の様式が確立していることです。考えつく範囲で「論理の徹底」「知識の公開」「観察の重視」「情報の体系化」。これらが守られていれば、近代科学までの飛躍はいつかは達成できそうなものです。

とりわけその当時で、思索の道具立てや方法論に自覚的だったほどの「論理の徹底」の度合いが、例えば東洋医学などの他の文明の学問と、西洋科学を分けたポイントだったのではないかと思います。まあ当時の理論は現代で通用しなかったり、西洋医学でもなんで効くのか分からない薬が多々あったりするんでしょうけども、論理思考執拗さというのは当時希有のものだったのではないでしょうか。そこで生まれた論理学のような思索の道具立てがないと、仮説と実証の近代科学につながらない気がします。

で、それはアリストテレスが天才だったりゼノン論理学を確立させたからとかじゃあなくて、きっと元から論理性にこだわる文化がそこにあったのだろうと思うのです。

議論ツールのことを妄想していたときに思ったことですが、論理的な言説っていうのは「ある結論+その理由」で出来ています。反証されそうな質問をされてしまったら「新しい理由」をつけて返すか「分からない」としておくか質問の有効性を否定するか……などと発展していきますが、基本は「〜〜だから、〜〜だ。」という構造だけ。大ざっぱに言えば全部の学問はこれで組み立てられているはずです。

当時のギリシャで、その「〜〜だから、〜〜だ。」が徹底されたことがすごいと思うのです。だって、それだけのことじゃないですか。論理性って。

天地を観察して論理的に考えると「大地は球状だ」という結論に達する。そこが思索のテコとなる論理思考のすごさですけども、当時の人にはふつう、そこまでのすごみ・重要性は実感できなかったと思うのです。

日常生活で論理思考だけをするというのはまず不可能で、感覚や経験則による素早い判断が逐一必要です。だから理屈よりも直感や慣れが大事だと言うことは、日常ではよく実感できます。論理思考は、思考に費やすコストを加味しつつ総合的に結論する人間の習性からすると、非人間的とも思える考え方です。

でも古代ギリシャの前後では、学問の様式を変えるくらいに論理性を重視するようになる転換が起こったんじゃないでしょうか。

古代ギリシャ文明の技術レベルの謎は、オカルト誌ではムー大陸アトランティスが…と失われた超古代文明の特集へとつながるのですが、私はどこかのポリスとか、地中海のある島ぐらいのスケールでも、「論理性を徹底する人々」が現れれば、近代科学へ一直線……ではないけれど、その土壌となる画期的な文明の変化が起きるのではないかと思うわけです。

さて前置きが長くなりましたが、「創造性に誇りを持ち、好きなことへの没頭を是とし、報酬より称賛を大切にし、情報の共有をものすごく重要なことと考える」プログラマーの話に戻りますと、「情報の共有をものすごく重要なことと考える」がひっかかります。

先ほど挙げた学問の様式の中にも「知識の公開」がありますが、ウェブ2.0サービス情報共有が学問分野の範囲・スピードでないのはご存知の通り。「そんなになんでも共有しなくてもいいじゃないか」「ウェブ2.0と言われるサービスに有益な情報がとりわけ多いとも感じない」「共有できない部分だって結局たくさんあるだろう」……と、「情報共有」をそこまで重視しない私自身は、マイナスイメージにもかなり同調できます。

でも「情報共有の徹底」が非常に重要だ、例えば、もっともっと広い範囲での情報共有が(攻殻機動隊情報の並列化みたいに)随時必要だ、情報共有学は巨大な研究分野になる、ウェブでの情報共有が生み出す力は企業や国家競争原理が生み出す力をしのぐ、などと確信していて異常に見えるくらい情報共有にコストを惜しまない人々が出現したら……何か新しい文化が生まれることは想像できます。

もともとウェブ論文発表したりするのに便利なシステムですし、広ーい範囲での学問復興が起こるくらいのこと、はウェブの設計通りの現象でしょう。

でもそれによって人間のほうが変わり、今までの知的活動の様式を一歩進めてきたとしたら、それはもう新しい文明の出現を予感させるものではないでしょうか(どこへ一直線なのかはぜんぜん見えませんけども)。世界経済の一体化だけじゃなくて知識の一体化が起きてますます世界政府実現に近づくとか……うーん生きてるうちはないな。


というところで、"ウェブ文明"をGoogle検索してみたんですが、1件しか出て来ないのにビックリ! あれ? "ウェブ文明"っていうフレーズはありえない? 馬鹿っぽすぎるの……? あぁ、そういう話は"インターネット文明"になるんですね。それでもずいぶん少ない(検索結果約202件)。インターネットは通信網なので、"インターネット文明"は"電話文明"と対比するような代物ですよね……ここで言いたいのはやっぱり"ウェブ文明"なんですけど……あらー、"web文明"も中国語ページ1件だ。"www文明"はVIPPERの文章にしかひっかかりません。えー、もし「ウェブ文明」という言葉日本で頻繁に使われるようになりましたら、それを最初にウェブ上に書いたのはへっぽこにっきさん(リンク切れ)だと思われると主張して終わります。 ビバウェブ文明!

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