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2006-02-04

3種類の最高の知性

もうひとつ一連の議論ツール話で考えたことです。もっと怪しい話です。役にも立ちません。えー、私は学がありませんしこういうものをほとんど考えたことがなかったので言い古されたことや考えの足りないことを言っているかとは思います……。


議論の限界

議論ツールをどんなに活用しても、2つの限界があります。それは「議論の限界」なのかもしれません。

1つは「情報処理の限界」です。いろんな知識があっても議論の中で整理して活用しきれないという限界です。そもそも「この世の事象を完全に正確に情報化することは不可能だ」という表現の限界があります。

実感しやすいところでは、議論内での情報伝達の限界があります。議論のしかたは、人間があらゆる意見を理解しあえるという理想に基づいて書かれていますし、議論ツール案もその信条に沿っていますが、現実には「国会議員を二期以上務めた人でないと分からない議論」といったものはあるでしょう。議論のしかたでは非推奨になっていないことなのですが、私は「良くない意見の類型」の中に「膨大な参照」と「膨大な知識伝達が必要な質問」を入れています。これは良くない意見への指摘というよりも、実際の情報伝達の限界を宣言するものです。情報伝達は理想を追うほどに不可能に近づく大事業となります。

2つめは「情報収集の限界」です。当たり前のことですが、参加者全員の知識を動員しても「分からない(ので結論が出ない)」ことはあります。またそもそも、「すべてのことは分からない」と言うことができます。「私はお腹が減っている」という自明のようなことでも、「私とはなにか?」などを追究していくと、本当に「私がお腹が減っているかどうか」は誰にも分からない、ということも言えるわけです。

普通は、そのような問いは参加者にとって「価値が無い」ので議論されません。ですからきちんと結論が出ます。しかし、これは「参加者価値観」を元に「議論の枠組み」を決めて、「その枠組みの中で通用する一般論」を完成させたからです。例えば、会社会議で「来年会社が無くなる」というような可能性は考えないことによって、来年度計画を決定することができます。例えば、差別される側の人間を議論から排除すると「差別は正しい(これは差別ではない)」という結論も出すことができてしまいます。

先ほどのような哲学的な見地を受け入れると一般論が容易に形成できなくなるように、多様な見地を受け入れるほど、結論を導き出すのは難しくなります。つまり「結論が出た」ということは、論に矛盾が出ないところまで「議論の枠組みを狭めた」ということでもあります。あらゆる議論は本当は「分からない」という結論に達することができますが、分かるだけの情報で有用な一般論を組み立てているのです。議論の枠組みを広げて新しい論を形成するためには実験や観測を行って、「情報収集の限界」を破っていかないといけませんが、それにも実践できる限界は訪れます。

最高の知性(1) - 全知

これら2つの限界は、論理思考の限界と言ってもいいのではないかと思います。どこまで有能な人がいても、やってきてしまう限界です。

その限界の外側には、「ラプラスの悪魔」のような架空の「全知」の存在イメージすることができます。論理的な思考に強い欧米の人々が、論理的に規定できない「全知神」の存在を真剣に信じるのには、このような背景があるのではないかと感じました。たしかに存在する(と感じられる)論理思考の界域をポジとしたとき、ネガである論理思考の外界も存在すると言えるからです。

最高の知性(2) - 最高の論理的知能

一方のポジ論理思考の界域のほうを考えると、そこには全知では無いけれど、求めうる知識からあらゆる推論を成し、論の証明のための実験を検討する「最高の論理的知能」をイメージできます。「情報を迅速に収集し続ける」「可能な限り自由な発案や立論をする」「可能な限り立論への質疑を繰り返す」「実験や観察で回答に必要な新情報をさらに収集する」「情報収集の方法やコストに関する思考も行う」……まあやることは人間が古来一所懸命やっていることと同じになりそうです。

情報収集は時間がかかることがありますからそのマネージメントは抜きにしますと、「最高の論理的知能」は瞬時に次の状態にたどりつきます。

  1. 現段階での「論理思考の限界」にたどり着く
  2. 有効な回答から矛盾の起こらない結論を構築する
  3. 命題者(答えを知りたい人々)に、その者の価値観に最適な枠組みの結論を提示する

議論ツール的に言えば、命題を与えるとたちまち意見ツリーが無数に伸びて、「これ以上わからない」という状態に行着き、議論の参加者にとってどうでもいい質問はしないことにして外していき、最も少ない「質問外し」で有効な回答に転じる回答を結論として提示するような存在となります。

最高の知性(3) - 命題者を動かす知能

しかし現実では、命題を与えた者(結論を知りたい人)が、求めるだけの回答が得られないことが往々にしてあります。もっと低いレベルで分からないことだらけです。

実験できない、統計もとれない、どのように情報収集したら良いか分からない、仮説もたてられない、そういうレベルで「論理思考の限界」が来てしまったとき、命題を与えた者は求める「結論」を得られません。命題者はどうするのでしょうか。

結論」は「情報」を元に組み立てられた有効な回答の中から、「命題を与えた者の価値観」にあったものが受け入れられます。そこで「情報」が充分でなく役に立つ有効な回答が得られないと、自然と「命題を与えた者の価値観」の比重が高くなって行動に表れるはずです。極端に言えば「ハチがどの花の蜜が多いか分からないので、とりあえず好きな色の花を選ぶ」といった判断です。

この論理的ではない判断が知性と言えるかどうかは言葉の問題になってしまうと思いますが、「仮の結論を行わせる」のは、情報が足りないとき「命題を与えた者」を動かすことによって正しい結論にたどりつく可能性を高める行為であり、ここでは知性であるとします。「とりあえず巣に戻ってから出直す」といった失敗しそうな選択肢は排除して判断しているわけです。論理思考の「実験」と違うのは、その行動を起こすことによって命題者の価値観が変わってしまうかもしれない点です。

こういう「仮の結論を行わせる知」はいっぱい考えられます。虫の本能的な行動パターンとか、条件反射、好き嫌い、偏見、個人の信条、金言格言、占い、教義などです。

まったく非論理的なのではなくて統計学的な要素や過去の経験則に基づいているけれど、結論を出すどこかの過程で非論理的な決定を下しているものが多いようです。人はそのように、論理的に分からない事に対処する方法をたくさん身につけています。赤ん坊が正誤や善悪を学習する以前に「好き嫌い」を持つようになることは、「仮の結論を行う」ために重要なのではないかと思えます。

で、当然間違った結論に到達する場合もあるわけです。さらに深い問いに悩まされちゃったり。「仮の結論を行わせる知」に頼り切って論理思考をおろそかにして失敗する例も無数にあるでしょう。

論理思考」をするか、「仮の結論を行わせる知」を実行するか。それを「命題を与える者の価値観と能力」に合わせて、完全にマネージメントできる……それが今回考えた第三の「最高の知性」です。論理思考の分岐だけじゃなくて命題者を未来へ動かす分岐を刻々と検討しながらあらゆる情報収集と処理をして最短で有効な結論に至るという……究極的に頭のいい高僧みたいな感じでしょうか、絶対の正しさが無いとはいえ、そんな存在人生を相談してみたいものです。

ええと、もしまだこのような至高の存在にこれといった名前がなければ、ラプラスの悪魔マクスウェル悪魔のように、ぜひ「sugioの高僧」と呼んでください(言ってみたくならなーい)。物理学で観測者がうんぬんという話なんかにそういうのあるかしら。

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