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2006-02-03

「批判は簡単」である理由

一連の議論ツール話で気づいたことをこちらに書きつけておきます。私は学がありませんし、この年までこういうものをほとんど考えたことがなかったので、すでに言い古されたことや考えの足りないことを言っているかとは思います。

批判するなら「対論」も出すようにしよう、ということは議論パターンでも言われていますし、はてな近藤さんインタビューでおっしゃっています。(私の議論ツール案の元になった議論のしかたネット上のオープンな議論が前提で、全参加者に対して高い期待をするルールが無く、『対案なき批判』ぐらいのことは全然ありですが)

この「批判は簡単」である理由は、議論ツールで言うと、案や論は「回答」であるのに対して、批判は「質問」で良いからです。議論において“反論”と呼ばれるものも、多くは「質問」に当たる行為でしょう。

「回答」には人を説得するための「理由」が必要になります。一方、質問はただ「意味不明(あなたの言うことが理解できません)」と言うだけで成り立ちます。実際にはあまりに程度が低いと議論への参加自体ができなくなるかもしれませんが、基本的に「短い質問」で「長い回答」を要求する方が簡単でしょう。

ちなみに、言い争いになったとき相手の意見をこばみ、理解できないことにして幼稚ぶってしまう人はこれを利用した議論の拒絶であり、そういう相手には幼稚振るのなら有意義な説明ができないと説得をしたり、人間関係を修復する為にラーメンを食べに行く必要が出てきます。

もっとましな反論の場合。矛盾のない一般論でも、その一般性の枠組みの外を探せば、反論の見地を得られます。「ニュートンが表した力学の枠組みの例外」を示して特殊相対性理論的な立場で批判することに比べれば、たぶん普段の議論で出てくる論の例外を探すことははるかに簡単です。「こういう場合はうまくいかないのではないか」という、いかにもな質問(=反論・批判)の類いを浴びせることができます。

そこで批判の余地を発見するだけではなく、特殊相対性理論という「対論」を成立させるほうが偉業であるということは、おおかたの賛同を得られるところでしょう。

討論ならば立論と反駁に同じ重みがあって良いと思います。決議で議題を廃案に追い込む場合は批判やその支持も必要でしょう。ただ情報の収集や発案が目的である一般的な議論では、案や論が重要なはずです。もちろん質問や批判は議論を進める上でなくてはならないのですが、批判にばかり支持が集まってしまうようでは、議論は成果物を産んでいないことになります。

思うに、「質問・批判・反論」は相手を論破できたり、実際鋭い意見であったり、回答と同じ程度の読み応えがあるなどして、議論の中で過大評価されがちなのです。「議論と討論の混同」にも批判を過大評価する一因があると思います。議論ツール案ではなるべく回答のほうが目立つようにして、質問は支持を集めてもあまり目立たない色にしています。

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