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2006-01-06

議論を楽しい雰囲気に保つことについての方針

先日から課題だった議論ツールにおける「楽しさ(不愉快さの排除)」の問題ですが、

  1. 原則的な議論のしかたをできる人が集まれば、情報伝達をスムーズにするために必要最低限の楽しい雰囲気は保つはず。だから「楽しく」は推奨も演出もせず論理的で寛容な議論の場になることを考える。
  2. 排他的で議論技術の低いメンバーでの議論用に「楽しくやる(ように努める)」という「ルール」にできるようにする。

という結論になりそうです。「ルール」というのは各議論ごとに、議論登録ユーザーの設定や参加ユーザーの多数決で設定できるようにしていく形です。ちなみに「公理」や「言葉の定義」も、登録者参加者が決定できる仕組みが必要だと思っています。

議論のしかた - 発言の自由 - 感情を害する発言についてでは、他者に「感情を害した」と言うほうが間違いであり、こうした感情を問題にする発言は、一貫して非推奨です。根底には

問題の根本は「コミュニケーションはとれて当たり前で、とれないのは悪いことである」という考え方です。コミュニケーションとはそんなに簡単なものではありません。人の意見を聞くというのは、自分の意見との落差が大きいほど難しいことです。しかし落差の大きい意見ほど聞く価値があります。価値のあるコミュニケーションほど難しいのです。もしあなたが他の人と容易にコミュニケーションが取れているとしたら、それはあなたが容易にとれるような価値の低いコミュニケーションしかしてこなかったからです。

議論のしかた - 感情論 - コミュニケーション不全

という思想があるようです。私は意見の落差の低い議論の中にも聞く価値の高いコミュニケーションは産まれると思いますが、議論ツールのシステムを考える場合やはり「コミュニケーションはとれて当たり前」という発想はないほうが良いですし、うっかり制度化したら弱い議論の場になってしまうでしょう。

もし一般論でなく「議論は無用な不快感を与えないように楽しくやりましょう」と言いたければ、それは自己の責任において「私と話すときは」と前置きするか、議論をはじめる前に参加者の了解をとらなければいけないようです。

もし私がそこに参加していたら、「無用な不快感を与えた発言の決定と、その処置などの管理の手間はだれが負うのか?」などと聞くでしょう。これにはっきりした責任者がいればその人次第の運営になりますし、多数決や雰囲気で決めるのであれば、異端者を適宜排除しながら議論を小さくして安定させる排他的な場になり得ますから、参加者にとっては重要なことです。おそらく、本来ほとんどの場合「議論は無用な不快感を与えないように楽しくやりましょう」という「ルール」は必要ないでしょう。

相手の意見をきちんと聞きたいと思う人は、相手の意見を率直に引き出すために、議論を簡潔にするコツとして、利己的にでも「楽しさ」を身につけられるという発想でいきたいと思います。

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