hoshikuzuの日記

2006-08-02

聖木曜日の謎

ゴルゴ13という架空のスナイパーがいます。不吉な奴だぜ?というネーミングです。「13日の金曜日恐怖症(paraskavedekatriaphobia)」に悩む人が全米だけでおよそ1700万~2100万人はいると推測されています。イエス・キリスト13日の金曜日ゴルゴダの丘磔刑にあったとされるからですね。以来、西欧では13日の金曜日は不吉な日であるとされました。ちなみに13日はユダヤ暦でして、この時点で既に欧米諸国の使っている暦日と日がずれているはずです。ひょっとしたら迷信でもってなんとなく13日が怖いなぁと思っているかもしれません。ホテルの客室のナンバーで13周辺がないほど徹底して嫌われているわけですが頼りになりません。もっと言えば、ゴルゴ13という名前の13はちっとも不吉でなくて、それどころか、処刑地ゴルゴダのゴルゴの不吉度と磔刑の日の13という数の不吉度がアンマッチしていて滑稽なのかもしれません。気になる人は西暦30年がユダヤ暦において何年であり、その年のカレンダーにおいて磔刑の日が何日の何曜日であったのかを詳しく調べることが可能かもしれません。え?私?そんなの調べるほど能力もなし、資料入手もなかなかヘタレな状況です。あくまでひょっとして13って不吉ではないかもって思っただけです。たとえ迷信にしても論拠不明といいますか。でもですね。曜日に関してですね。簡単に入手できる一級品の資料があるのですよ。いわずとしれた聖書です。金曜日は本当に不吉だったのかぐらいはわかるかもしれません。

この書き込みのタイトルは「聖木曜日の謎」になっています。金曜日が迷信上ヤバいのですが、その前日はとっても聖なる曜日なんですね。少なくとも宗教的な慣習上そうされています。これ、最後の晩餐のあった日の曜日なんです。イエス磔刑にあった日の前日に弟子達と最後の晩餐をしたのですがその日が木曜日・・・だとされています。晩餐においてイスカリオテのユダ裏切り者であると看破され、ユダがその足でイエスの所在地を密告し、速攻、ローマ軍の歩兵連隊その数100名以上が逮捕しに来て、即裁判、即死刑確定、即、磔刑になったのです。磔刑は金曜日とされています。ですがこの曜日は真実ではないかもしれません。過去数え切れないほどの世代が木曜日の聖なる晩餐を思い描きつつ夕食をしてきたことを思えばとても苦痛なのですけれど、あえて申し上げます。これ、どうやら水曜日の間違いっぽいのですよ。ええええええ?って多くの日本人は驚きませんね。私は驚きますが。聖木曜日は聖水曜日の間違いであって、とうぜん、13日の金曜日は・・・ちなみに正統派の聖書学者の多数派は14日の金曜日がイエス処刑の日だと言明していることを補足しておきます。本稿では、13日か14日かは論及しません。曜日だけについて考えることとします。題して聖木曜日の謎。といいますか書き始めてから2時間たってネムイです。どうしたら良いでしょう(苦笑)

少なくとも13日の金曜日が怖いよ症候群の人はその恐怖がニセモノの迷信(ホントは14日だよ)によってひきおこされていることを自覚して頂ければよいですし、ホテル建設業者さんは、13号室の替わりに14号室をなくしたらよかろうかと思います。私の論点はさらに過激で、磔刑は金曜日でなくて木曜日であると主張するものです。聖水曜日学説。

イエスは三日後に復活した

Googleで検索語として「三日後」「復活」とし、検索すると日本語サイトでもけっこうな数のキリスト教関連のマジメなサイトがひっかかります。まぁアレですね。旧約新約の聖書に関連して三日後というのは重要なキーワードなんでして。

たとえばイエスがこういいました。「こんな神殿なんぞ壊れたって三日もあればいちから再建できるでぇ」とか。でこれが預言となっていまして、磔刑後三日後に復活したことになっているんでありまして、これはキリスト教においてはずすことのできない信仰の礎です。イエスは三日後に復活したんです。そのように信じられています。イエス神殿であり三日後の復活は大事であり…とにかくゆるがせにできません。

マルコ・マタイ・ルカの3福音書を普通に読むと?

ところが。イエスの復活について記してある聖書の大事な部分、マルコ福音書マタイ福音書、ルカ福音書を精読すると、イエスの復活は2日後なんですよ。ええええええとか思うクリスチャンがいたとしたらもう一回福音書を読んでいただきたいです。要するに勘定があわないのです。イエス磔刑後、いったん墓にいれられて、さらに日曜日の午前中、それも朝早くに弟子達が墓にいくと既にモヌケの空であったことが上の3福音書に書かれています。金曜日午後3時に死んだイエスが日曜日の朝には復活してどこかに行ってしまっています。2名の御使い達(=天使)が「生きているから墓を探してもいるわけないじゃん」と弟子達に教えてさえいます。

確認しておきましょう。弟子達が墓を確認しに行ったのは、安息日があけて即の朝です。ユダヤ地方の当時の(今もそうですが)安息日といったら土曜日なのですよ。この日は仕事しちゃいけんです、はい。なぜなら、日曜日に世界の創造がはじまって6日間で創造が完了し、土曜日に神は休まれたからです。モーセも土曜日は休めと申しております。宗教的な行事であるならばなおさらです。お墓でなにかしようと安息日に思っては絶対にいけない。従って、イエスの墓に弟子達が向かったのは日曜であり、聖書はこのことを言明しています。

このように、普通に聖書を読むと、木曜日に最後の晩餐。金曜日に磔刑。復活は日曜日の早朝以前です。植木算を使うまでもありませんね?金曜日にいったん死んだイエスは二日後に復活しちゃっているのです。これを三日後であると強弁したいならば、金曜日の翌日の土曜日を二日後と言うのと同じことになります。そうでなければ日曜日は三日後になりません。同じ論法で強弁するならば、金曜日の一日後が金曜日です。こんな変なことはありません。マルコ・マタイ・ルカの各福音書による通説はどこか間違っているのです。ちなみに同じ脈絡においてもうひとつのヨハネ福音書もほとんど同罪です。間違っているのです。いえ、逆に福音書が正しいとするのであるならば、3日後の復活というよく言われるテーゼが間違っていることになります。既に述べたようにイエス自身が3日後の復活について預言していますからどうしてもハズせない。どうしたものか…


素晴らしい回答

あぜんとすることがあります。これが回答なのでしょう。実に素晴らしい。

実は現代の聖書福音書の前にはギリシャ語マタイ福音書がありました。このギリシャ語版のマタイ福音書において、イエス磔刑後の「安息日」が複数形で書かれているのです。これが回答です。忘れ去られた答えなのです。「安息日」は土曜日だけを意味しているのではなかったのですね。金曜日も安息日だったのです。それはなにゆえか?実は、金曜日は過越しの祭りの日だったのです。年に一回の大事な日でして、通常の土曜日同様、その日は仕事をしてはいけない日なのですよ。たとえ偉大なる師、イエスがとりあえずお墓の下にいたとしても、弟子達はその信仰のゆえ、なにも手出しができなかった。事実、安息日終了の土曜日の夕刻(当時も今もユダヤ暦では一日の始まりは夕刻です)イエスに付き従ってきた女性達はようやく死体をくるむ香油を買い求めることが出来ました。宗教的禁忌に抵触しない最初の機会を得てイエス本葬の準備をし、日曜日の朝に墓にいったこととなります。なお、イエス磔刑は午後3時でしたが、まもなく【安息日のはじまる】夕刻であり、取り急ぎイエス十字架からおろし、仮葬状態において墓にいれたとされています。このへんの事情は聖書に詳しいです。ではカレンダーを書いてみますね。

水曜日の夕刻:最後の晩餐

木曜日(我々の感覚でいうと水曜の夜半):イエス逮捕裁判

木曜日午後三時:イエス十字架上でいったん絶命。

木曜日夕刻まで:あわてて十字架からおろす。とりあえずアリマタヤのヨセフが手配した真新しいヨセフ一族の

ための墓にイエスの遺体を格納。

金曜日はじまり(我々の感覚では木曜の夜):イエス、墓の下。この日、過越しの日。安息日

土曜日はじまり(我々の感覚では金曜日の夜から):イエス、やはり墓の下。安息日

日曜日はじまり(我々の感覚では土曜の夕方を過ぎ、夜):イエスの親族達、本葬の準備を始める。一日がかりの大掛かりのものであるとされる。

日曜の朝もしくは、午前中早い時間:本葬にむけて墓をみにいったらイエスの遺体がないことが露呈。

以上でわかる通り、イエスキッチリ3日後に復活となっています。


迷信

やはり、金曜日に磔刑というセンはどうあってもないことになります。イエスは木曜午後三時にいったん絶命しています。ですから聖木曜日として祝ってはいけません。イエスが最後の晩餐をしたのは水曜の夕方が過ぎた直後の晩餐だからです。現代人が現代の感覚で聖木曜日を祝ってしまうと、ちょうど今さっきイエスが死んだばかりの晩餐となります。日本人風に言えば、お通夜であります。

13日の金曜日は不吉でもなんでもありません。そのような恐怖に陥っているナイーブな皆さんには真実を知って頂いて馬鹿馬鹿しいと思って頂くと良いかもしれません。


たいへんなこと

聖木曜日はミサの原型でもあります。ミサは、イエスのパンとワインを頂く日なのです。マルコ・マタイ・ルカの各福音書では、最後の晩餐において、パンをイエスの肉体であるとし、ワインイエスの血であるとし、これを頂くことで永遠の生命にあずかることになっています。信仰上、とても大事な日なんです。聖書を読むと、マルコ・マタイ・ルカ各福音書では、最後の晩餐は「パンを裂く日」なのです。実際にイエスがそうしていることを読むことが出来ます。聖木曜日はこのことになぞらえているということになります。

さて、ここにたいへんなことがひとつ出てきます。聖書が一字一句間違いが無い、なぜなら神が霊感を通じて人にかかせているからであるという説がヒックリかえりそうなことがらだからです。

ヨハネ福音書を読むと、不思議なことがわかります。ヨハネだけは、最後の晩餐は、過越しの食事ではなかったとしています。逆に、マルコ・マタイ・ルカの各福音書では、最後の晩餐は過越しの食事であったとしています。どちらが正しいのでしょうか?聖書には誤謬が含まれるのではないでしょうか?

そしてもうひとつ問題が出てきます。実は、過越しの食事においては、酵母をいれて発酵させた通常のパンを食べてはいけないのですね。これは絶対的なルールです。イーストなどの酵母でふっくらしたパンは禁止なのです。これは、モーセが民をひきいて苦難の旅をしていた時のことを思い出すための食事だからです。贅沢は出来ません。過越しの食事においては、小麦を練って焼いただけのパンはクラッカーのようにパリパリとしている固いものなのです。しかも、固くてそもそも手でちぎれませんから、小さめに焼きます。なんとなくおわかりのように、過越しの食事においては、「パンを裂く」ことはありえません。つまり、「パンを裂く」ならば、それは、過越しの食事ではないのです。

マルコ・マタイ・ルカの各福音書では、イエスが「パンを裂く」ことにより、弟子達にイエスの肉体をわけあたえたことになっているのですが、「パンを裂く」ことがありえない過越しの食事であったとも言明しています。要するに内容に矛盾をはらんでいるのです。

一方、ヨハネ福音書では、最後の晩餐においては、この食事は過越しの食事ではないと言明されています。その次の日の食事が過ぎこしの食事であることが明記されているのです。最後の晩餐においては普通のパンを食べていたはずなのです。ところがヨハネによれば、「パンを裂く」ことが書かれていません! イエスがパンをイエスの肉体であり、ワインイエスの血であると取り分けして弟子達に食べさせた記述がないのです。イエス裏切り者のイスカリオテのユダにパンをワインに浸して渡した記述があるのみです。「パンを裂く」ことが当然の日であるのに(過越しの食事でない普段の食事では、一番最初に家父長がパンを裂いて家族にパンを与えることが当時の食事のきまりごとでした)イエスがそのことをしていなかったようにみえます。このようにヨハネ福音書には内容矛盾はギリギリないようですが、最後の晩餐として聖木曜日を祝うような聖餐式の原型となるような記述はありません。

以上でわかるとおり、これは重大なこととなってしまいます。もう、聖なる日が木曜日だ水曜日だという以前の問題なのです。マルコ・マタイ・ルカの各福音書ヨハネ福音書との間で過越しの祭りの日と最後の晩餐の日との関係が食い違っているのみならず、マルコ・マタイ・ルカの各福音書においては、過越しの食事であるにもかかわらずパンを裂く行為が書いてあるのです。これが聖木曜日の謎です。この謎は解けません。押さえておきたいことは、聖書には内部矛盾があるということなのです。

聖書は一字一句間違いないのだ

聖書が一字一句間違いないのだというゴリゴリに固い信仰を持つキリスト教徒がいらっしゃいます。そうでない信徒もおおぜいいらっしゃいます。聖書が一字一句間違いないのだという意見の主要たる勢力は今、アメリカにいる根本主義者達です。原理主義と言わないように。同じようなものですけれど。この根本主義者達は、アメリカイラクに侵攻することを当然の聖戦であると信じています。ブッシュ大統領はその勢力を支持基盤としています。聖書が一字一句間違いないのだという勢力にとっては、旧約聖書もまた、一字一句間違いないのだというのが信仰の絶対的な基準です。旧約聖書においては、神に敵対する民族は皆殺しオーケーとされています。根本主義者達もまた、その立場です。歴史上の十字軍は肯定されなければいけません。その実態がイスラム圏に対する侵略であり富の収奪であったとしてもです。十字軍当時、イエスラム圏は世界で一番裕福だったのです。商業・交易に支えられていたからですね。それが証拠に。私達が使っている数字の文字はアラビア数字と名前が付けられています。蛮族であったヨーロッパ人はイスラム商業帝国から文化を輸入していたのでした。いわば十字軍は蛮族による経済侵略戦争だったのでした。そして現代。アメリカ帝国主義は、あらたなる十字軍を編成しました。これはブッシュ愚昧大統領の言明通りの表現です。日本も大賛成して加担しています。未だに理屈がよくわかりませんがイラクでは自衛隊の空軍が今もって兵站輸送に尽力しています。国は違いますがゴラン高原にも自衛隊によるPKOが駐留しています。ヒズボラロケット弾が飛んでくる状況が発生してもしかたがありませんね。シリア参戦は目前ですから。もしかしたらイスラエルによる爆撃が、我ら自衛隊の宿営に落とされるかもですね。なにせ、イスラエル空軍は優秀ですから、つい最近も国連から派遣されている皆さんを大勢爆撃しています。国連が一生懸命連絡して空爆ヤメレと言ったのに、ぜんぜんやめなかったことがわかっています。本当に馬鹿げています。ブッシュ戦争を後押ししなければもう少しなんとかなりそうなものですけれど・・・

根本主義者達が聖戦を叫んでいますが、彼らは、自称根本主義であり自称信仰を忠実に守っているかのようにみせていますけれど、イエス・キリストの精神をひとかけらも持ち合わせていません。イエスが今この瞬間に再臨なさったら真っ先に根本主義者達は雷に打たれて絶命することでしょう。もっとも、イエスの再臨など、私は期待したことがありませんけれども。あくまで皮肉です。念の為に明言します。私はムスリムでもありません。最大にして最後の預言者ムハンマド戦争布教をしました。そんな奴の言うこと信じられるわけがありません。ちなみに剣かコーランかという有名な戦略について世界史で学びましたが、南米のとある部族では、片手に剣、片手に聖書をもった白人が我々を苦しめる、、といった悲しみに満ちた踊りが伝えられています。日本だって自慢できません。大東亜戦争聖戦でした。実際には侵略戦争です。

まごころ

まごころを示す人、痛みがわかり人に痛みを与えない人、ともに幸せになろうと努める人、こういった人々だけが本当の信念の持ち主です。そういった信念は真理からもたらせられます。ありとあらゆる頑迷な迷信を捨てましょう。たとえば、クリスチャンならば、イエスの示した愛を実践しましょう。迷信や間違いを多く含む、どこかのだれかがつくりあげた教条を頑迷に守っていても誰も救われません。

以上書いたことは

以上書いたことのうち、戦争に関する嫌悪の表明以外、聖書の分析の部分は私のオリジナルの分析ではありません。このところいろいろと聖書学や歴史学に触れる機会があり、そこから学んだことです。きっちり聖書を読むと出てくる矛盾は誰しも気がつくことが出来ます。そして古のヘブライの慣習などの調査、古い時代の聖書との比較など、個人では判らないことがらは歴史学者さん達の研究を参考にすればよいのでしょう。 昨日知って驚いたことがあります。最近になって発見された、イエスの活動拠点であったガリラヤという地にある、とある共同墳墓において40人ほどの遺体が発見されたのですけれど、刻まれている名前を調べていくと、イエスの弟子達や、イエスの支持者達の名前が12人ほど出てくるというのです。イエスのために香油を用意したふたりの女性(姉妹)の名前もみつかりました。ふたりは同じ棺に埋葬されていることがわかりました。これは本物かもしれませんね。みつかったひとりは、ペトロです。ペトロの本名で埋葬されていました。クリスチャンにとっては驚きですよね。心当たりがあってあれれ?と思う人も。じゃぁあの墓は?と。こういったことがらは新しい知見をもたらします。学んでいて面白くてしょうがありません。

追記

しばしば、パンをイエスの体、ワインイエスの血とする喩えは、食人風習と比較されたりしてきました。そういうものではないでしょう、下種の勘ぐりでしょうと私なんかは思います。 一方、ユダヤの風習として、血を食することは絶対的な律法上の禁忌であることは間違いありません。 たとえ本物の血ではなくワインであったとしても、ユダヤの風習が身に付いている弟子達にとって、イエスから血を飲めと言われることは、ハッキリ言えば、激しく引いてしまうことであったはずです。最初に聖書を読んだ頃の日本人の私にも引いてしまうシーンでした。血なんか飲ませるなよ~という。ドラキュラかい!とか感じたものです。血を愛飲する民族はいませんでしょうから私が感じた感覚、みなさんも感じるこの感覚は、世界中で普遍の感覚でしょう。ましてや、血食することを禁忌とするユダヤ民族においてはなおさらです。 つまり、ユダヤに住んでいたイエスが、『私の血だ』といって弟子達にワインを飲ませることは、かなり強烈なことなんです。

ぢゃぁここで最近耳にした有力な仮説を。仮説であっても史実に基づくウラがとれている説を。イエスはそんなことしたわけないじゃん仮説。

じゃーん。この「ワイン=血」のイメージを最初にキリスト教に持ち込んだのは聖パウロでした。イエス以前よりギリシャ地方の【魔術】としてワインを血とする【儀式】が広く流布していたらしいのですね、歴史学者がウラをとっているらしい。ローマ市民でありギリシャ文化に造詣の深かったパウロが宗教的熱情をもってキリスト教に「ワイン=血」説をもちこんでしまった…聖書に含まれるパウロ書簡にはたとえば以下のようにあります。ほかにもありますが。

コリント人への手紙第一

10:16 わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。

実を言うと、パウロ書簡は新約聖書における各福音書よりも成立年代が古いのですね。つまり最初に書かれたことになります。パウロが言いはじめ、それをうけてマルコが福音書に書き込んでしまった、そのように考えられるのです。マタイ・ルカはそれを引き継いでいます。考えてみるとマルコ福音書でも、ユダヤの風習についてよくわかっていない者の目で過越しの食事=最後の晩餐として書かれていたのでした。比較のためにも、もうちょっとヨハネ福音書を読んでいる必要が出てくるかもしれません。ヨハネはエルサレム周辺について正確な記述が多いし過越しの食事についても正確に書いていますからね。

それにしても…なんだよ!イエスの血を飲むとかいう奇怪な説の言いだしっぺはパウロかよ!とか私は思いました。人騒がせな、とか思いました。聖餐にあずかることをしないと地獄に行くぜみたいなことをパウロは聖書のどこかで言っているはずですが…まぁいいか。私の中で聖パウロの株は最近下がりっぱなしです。パウロが書簡で残している旧約聖書からの引用はずいぶんと間違いだらけであることが昔から知られていることですし。

三位一体説を強く意識したパウロ神学の影響をあまり受けていない聖書中の書簡って意外と少ないっぽいのですよね。マタイ福音書はマシのほうですし、ヤコブの手紙は非パウロ的ということで有名ですが。ユダの手紙もそうか… そういう書簡だけ大事にする教派がそういえばありますね。エビオン派です。4世紀ごろなくなっちゃいましたけど。三位一体説を受け入れない教派でしたね、確か。このあたりを深く追求していくと異端の道に・・・(苦笑)・・・まあでも、こないだまで私もパウロべったりのルカ福音書が一番読みやすかったんですから・・

MIYAMIYA2007/03/06 13:06当時のユダヤ人は当日を入れて数えたのではないのでしょうか?死の金曜日を入れて3日後の日曜日の早朝に復活したということでは?

Hiro-sanHiro-san2008/02/27 19:213つの共観福音書のうち、マルコが最古でマタイとルカはコピペですが、最古のマルコは十二宮をもとにして書かれました、というのが最新の研究です。以下をご参考に。
http://www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1710884